2023夏。今チャイコフスキーの交響曲第5番をやるという事。ロシアを代表する作曲家であるチャイコフスキーが同性愛者であった事を知る人も多いかと思います。また、彼の死因については、アウティングされた性的嗜好により友人から名誉の自殺を迫られた(当時の帝政ロシアで同性愛は違法)という説もあり、この領域の話題は2023年夏の現在、社会的関心が高く、シリアスな側面を孕んでいると言えます。また、確かにチャイコフスキーは世界が認めるロシアを代表する作曲家ではありますが、その作品がロシアそのものの広大神秘を代表しているかというと、答えはNOです。特に交響曲第5番については、どちらかというと3人称ではなく1人称(私は~)の音楽であり、世界とか、宇宙とか、神とか、ブルックナーのような人知を超えた壮大なものに迫るような音楽とは違うように思います。そして、チャイコフスキーの音楽表現自体が、彼独自のものというよりも、それをドイツ音楽的な語法に止揚させた、せざるを得なかったもので、当時のヨーロッパからロシア方面を見たときに感じたであろういなたさ、アカ抜けなさをあまり感じない、洗練された魅力を持っています。悪く言うと無国籍な感じでしょうか。世界で流行するものはたいていそうです。ベートーヴェンしかりモーツァルトしかり。ただ、それが心の底からチャイコフスキー本人の内なるものを表せているかどうかは個人的には疑問です。もちろん、必ずしも作者の内心を表現するもの=音楽とは考えてはいませんが。つまり、チャイコフスキーは自己自認について大きなストレスを抱えていたのではないかというのが、私の見立てです。いわゆるアイデンティティの悩みとも違います。国籍や、血筋、身分など集団の中における自分の在り方の話ではなく、「自分」と「自分」との関係についてです。彼の場合、自己自認が分裂しており、統合されていない。統合されているようにふるまえるけど、納得しきれていない危うさを感じるわけです。「トランス〇〇」という概念が浸透し始めたのが最近ですので、この観点からチャイコフスキーを研究する人は恐らくまだおらず、今後深まっていく視点であると思っています。チャイコフスキーの交響曲第5番の中には、特段の発想記号がなくても「この記譜であれば当然そうなる」と思わされ、かつ歴史的にそのように演奏されてきた箇所がいくもあります。今日日それを無思慮にそのまま演るのは、「ズボンを履いているから男の子」というのと同じくらい危うい事になってしまうのではないでしょうか?そのような視点で、ほんの少しいくつかの実験的な試みを混ぜてみたつもりです!是非8/5お越しください^^詳細は↓2023.08.01 01:27
ショスタコーヴィチ[交響曲第9番]を文章にする今度指揮する作品について、ご一緒する奏者の方向けに書いています。詳しい方も多いと思いますが、ショスタコーヴィチの音楽は比較的最近のものである事や『ショスタコーヴィチの証言』という書籍の存在により様々な解釈上のヒントがある一方、「証言」そのものの真贋について疑問を呈する議論もなされています。 私自身は「ショスタコーヴィチはこの交響曲第9番を通して、心の底から戦勝を称える意図はなかった」という立場です。また「証言」の真贋論争の中でアメリカの音楽学者、リチャード・タラスキン博士が示した「作曲家が作品に込めたものだけでなく、聴衆が作品から引き出したものに帰すべき」という主張に沿い、いち聴衆として各楽章を文字にしてみる事にしました。つまり、以下の文は単なる解釈ですのでこれがベストとも唯一とも思っていません。あくまで、今回の指揮者はこんな風に作品を捉えているんだという情報程度に、ご一読頂けますと幸いです。全部の練習に参加できる人は少ないと思いますので、この素材がリハーサルを効率的に進める一助になればと思っています。当該作品について詳しい方が多い中恐縮ではございますが、一部分でも内容に共感頂けると嬉しいです。※具体的にどこの部分が何に対応しているというものではありません。あくまで観念的なものです。第1楽章寂寞なる北の片隅に位置する小さな村で、女たちが噂話をしていた。どうやら戦争に勝って男たちが帰ってくるらしい。そこへ村長が現れ、物知り風に、そしていかにも偉そうに話し始めた。「若い者にはわからんだろうが、昔の軍隊は本当に強かった。私が従軍した時は、勝利が当たり前でな。敵が現れれば、俺たちは一斉射撃で圧倒したもんだ。」女たちは村長が言うことに興味もなければ、解りもしないでいた。何も知らない凡庸な男が、過去の成功体験を女たちに語りかけているだけのように感じていた。女たちは内心で嘲笑った。しかし、誰も村長を止めることはしなかった。まるで鳥が鳴くように、同じ話を何度も繰り返していた。時に身振り手振りを交えて、大げさに。ただ、毎回細部の設定やストーリーが変わっているような気がした。それに気が付くたびに疲労感がつきまとう。一つ言えることは、村長は自分の言葉を絶対的に信じていたという事だ。女たちは噂話を続け、村長は武勇伝を続けた。いつまでも会話はかみ合わず、不毛で、空虚な時間が過ぎていくだけ。いつものことだった。 第2楽章夜は更け、女たちはまだ話し声を弾ませていたが、その女はひとり輪を離れ、自分自身について考えをめぐらせていた。この村で生涯を終えなければならないのだろうか、と。しかし、村を離れたところで、自分に何ができるというのだろうか。生きることに精いっぱいで、自分という存在についても考えたことすらなかった。月が静かに輝く夜空の下、その女は眠りにつけず、葛藤のようなものが内なる世界を駆け巡るのを感じる。その心の中で湧き上がる疑問に、どう応えたらいいのかわからなかった。瞼を閉じると、暗闇の中でぼんやりとした輪郭らしきものが漂っている。それこそが自らの姿なのかもしれない。第3楽章晴れた昼下がり、この日も村長が女たちの集まりにやってきた。女たちは彼を笑顔で迎えた。「村長、今日は何か用があるのかしら?」と、料理を作っていた女たちの一人が尋ねた。「いや、暇だったから寄ってみただけだよ。」と村長は答えた。女たちはそれぞれ得意な料理を披露しながら、村長に教えてあげることにした。「それでは、村長さん、まずは玉ねぎを切ってみてください」と、女たちはまずは簡単なところから教え始めた。しかし、村長はどうやって切るか全く分からず、女たちの手取り足取り指示を仰いでいた。女たちは村長の姿を見ながら、内心で「何もできないんだね」と嘲笑していた。それでも、村長は真剣に教わり、何とかみじん切りを習得できた。「おお、これは良い感じだ。これで私も料理人になれるかもしれない」と村長は自信満々に言った。すっかり気を良くした村長は、またも自分語りをはじめる。「俺たちの部隊は常に先頭を切っていた。鉄のように鍛えた体と、緻密に練られた戦術が、敵を屠り、勝利をもたらしたんだ」女たちは以前よりは興味津々で聞いていたものの、早く料理の続きをしたかった。村長の気を料理に戻そうと、褒めたり、称えたりして話を終わらせようとした。それでも村長の誇大妄想めいた話は盛り上がりを見せる一方で、この繰り返しにはある種の滑稽さも感じていた。「俺が一番輝いたのは、あの激しい戦闘の時だ。兵士たちが次々と倒れる中、俺は果敢に戦い続けた。手榴弾が爆発し、銃弾が飛び交う中、俺は危険を顧みずに戦った。その勇気が報われ、以後、上官たちからの尊敬を受け、数多くの賞賛も受けたんだ」女たちは、話を聴いているようで、実は適当に相槌をうって聞き流していたのかもしれない。村長は自分が輝いていた頃に再び戻りたいと願っているようだったが、それはもう叶わないことだ。女たちの表情は、やがて哀れみへと変わっていった。1人の女が口を開いた。「そういえば、男たちが帰ってくる頃ですね。」第4楽章彼らは旗を掲げ、大声で勝利宣言をした。しかし軍楽隊が鳴らずファンファーレは、喜びよりもむしろ死者への哀悼を表しているようだった。その女はひとり、村を見下ろす丘の上に立っていた。季節外れの北風が吹き、雲が低く垂れ込める中で村全体に闇のようなものが広がっていくのを感じていた。遠くから2羽の鷲がうめき声ともとれる鳴き声を発し、過ぎ去った悲劇を余計に連想させる。誰もが、何かがおかしいと感じていた。いつしか本降りの雨になっていた。第5楽章そんな中1人、また1人と祭りの参加者は増えていく。尽きることのない力に抗えず、次第に参加者たちは祭りの中へと引き込まれていく。村人たちは胸騒ぎを感じつつも、引き返すことができなくなっていった。踊りや歌、奇妙な儀式が続き、凱旋を終えた男たちもその中に溶け込んでいく。音楽と炎がに包み込まれる中、人々は自己抑制を失い、狂気的な喜びに酔いしれた。村は一つの大きな騒ぎに包まれ、踊る村人たちの輪はどんどん広がっていった。しかしその喜びの中で、人々は現実から遠ざかっていることにも気付いていた。開放的な気分に包まれた一方で、この狂気的な盛り上がりが、自らの理性と判断力を奪い、思考を狭めていく。人々はお互いに顔を見合わせながら、今までにない奇妙な一体感に気付いていた。「終わったのではない。これが始まりなのかも。」その女は呟いた。祭りの騒音の中でもその言葉は何か大きく深い意味を持ち、誰かの心に届くような気がしていた。雨がやみ、雲間に淡く光が差し込んでいた。幕が下りると、登場人物たちは楽屋へ戻り、早々にメイクを落として夜の街へ繰り出していった。以上2023.04.05 04:50
ブラック?ホワイト?250年前の雇用契約。モーツァルトに慕われ、カルテット(弦楽四重奏)の父と呼ばれたハイドンですが、彼は1761(30歳)年から90(60歳)年の30年間、エステルハージ侯爵家に仕える宮廷音楽家でした。今から約250年前にハイドンとエステルハージ家の間でむすばれた雇用契約書を要約したものが以下14条の箇条書きです。1 楽長ヴェルナーは聖歌隊の音楽を担当するので、彼に服従せよ。ハイドンはそれ以外の演奏やオーケストラ全ての指導権を持つ。2 ハイドンはエステルハージ家の従僕としてふさわしい行動をとること。部下の楽員に粗暴な態度をとらず、温和、寛大、率直かつ沈着であること。賓客の前で演奏するときは制服(白の靴下、白のリンネル、かつら)を着用する事。3 楽員を指導し、彼らの模範になるように不当な交流を避け、食べ過ぎず、飲みすぎず、話し過ぎず、平和を保つように部下を感化すること。4 命じられた音楽を作曲する義務がある。それらを他の人に与えてはならない。また、許可無く他の人のために作曲してはならない。5 昼食の前後には次の間に控え、公が楽団の演奏を希望されるか否かを伺うこと。希望の場合は楽員に伝え、彼らが時間を守るように注意・確認すること。6 楽員たちの間に不和・苦情が起きたときは、調停すること。7 すべての楽譜と楽器を管理し、不注意・怠慢によって破損した場合は責任をとること。8 歌手や団員を訓練すること。また本人も楽器練習に励むこと。9 部下にこれらの義務を守らせられるよう、契約書のコピーを与えること。10 規則を遵守し、秩序ある楽団運営をすること。11 年棒は400グルデン。年4回の分割払い。12 従僕たちの食卓で食事をとるか、代わりに食事手当1日半グルデンを受け取ること。13 3年契約とし、満了時に退職を希望する場合は6ヶ月前に届けること。14 これらを守るならば3年間の雇用を保証し、楽長に昇進させる可能性もあるが、反するならば公はいつでもハイドンを解雇できる。以上年俸については、当時700グルデンあれば人並に家庭を養えると言われていたようですので、大雑把に見て、1グルデン=1万円とみて良いかと思います。また、この他に、月額47グルデン50クロイツァー(50万円くらい?)と1日500グラムの牛肉及びワイン2.8リットルとする資料もあります。ハイドンが仕えたエステルハージ家は17世紀からブドウ栽培とワイン醸造を手がけてきました。ハイドンが演奏に使ったホールは今もオーストリア東部のアイゼンシュタッドに残されています。写真は、数年前にそこへ行った時のものです。2023.03.03 04:50
ローバー75の良い所と残念な所を書いてみる75のユーザーになって約4年、6万キロを走りました。私なりにこの車の長所と短所をレビューします。あくまで1ユーザーとしての感想です。車に関する専門知識はない素人ですので、その点ご了承下さい。私の車について2005年式、ローバー75ツアラーです。どんな車なのかについては、プロの方が書いたこちらの記事をご参照ください。なんでこの車を買ったのか75のデビュー当初は高校生でした。「なんて格好良い車なんだろう!だけど豪華すぎて若造には乗れないな」が最初の感想です。これまで見たどの車にも似ていない、しかし様式感のある華のあるスタイルに魅力を感じました。ただ、500万円を超える車を高校生が買えるはずもなく、いつか機会があったら乗ってみたいなと思っていました。そんな私もいつしかアラフォーになり、愛車遍歴も10台に迫ってきました。ここらで昔憧れた車に乗るのもありかな?と思ってローバー75をネット検索をしてみたところ、現状渡しを条件に二束三文で売りに出されていた個体を発見し、見に行ったその日に即購入したという経緯です。もちろん、その後それなりにお金がかかりました。これまで所有した車これから書く長所と短所は単なる素人(私)の感覚にすぎませんが、それは以下の車との比較によるものになると思いますので、一応記載します。・ユーノスコスモ 13BタイプSX・日産キューブ(初代)・ボルボ240セダン(1993年式240GLE)・ボルボV90 3.0クラシック・トヨタ ビスタアルデオ・ベンツCクラスワゴン(S203 C200コンプレッサー)・ボルボ240ワゴン(1992年式240GLE)・トヨタ セルシオ(30前期)・スズキ アルトラパン(初代)・ローバー75ツアラー個人的にボルボの波長が合ったようで、3台乗りました。中でも240は2台乗りましたが乗り心地や所有感はこれまでの車の中で今でも1番です。しかし設計の古い車で走行性能には難があり、長距離ではもう少しパワーの余裕が欲しくなる車でした。同じボルボのV90は走行性能はスムーズで素晴らしいものでしたが、内装の質感やオートマ(4速)の出来は過渡期の車といった感もありました。その点、ローバー75は、様式感を備えたクラシカルな魅力と現代的な走行性能を持っています。ボルボ240とV90の足りない部分を補い、良いところを合わせたような車であると感じています。良い所を5つ①絶妙な寸法全長4800mm 全幅1780mm。これは一昔まえのクラウンくらいの大きさで、同クラスの最近の新車からすると小ぶりです。全長5mを超えない事、幅は1.8mを超えない事。日本でストレスフリーに取り回しができる最大限の大きさがこの大きさだと思います。この点、75ツアラーは絶妙なのです。後席のシートを倒すと荷室がフラットになり、私(身長179cm)がちょうど足を延ばして寝られるサイズです。年に何度か車中泊をする私にとって、4800mmという全長は最低限必要でもあり、かつ、これ以上では困るというジャストなサイズなのです。そして、幅が1800mm以上になるとセスナを飛ばすために大利根飛行場に向かう狭い土手沿いの道で、すれ違いに不安が出てしまいます。②内装の質感、特にハンドル運転中手に触れるところは大体ウッドかレザーです。特にステアリングは車の見た目とは裏腹に太く、重い操作感のもので、最近の洗練された車に比べて野暮ったさも感じますが、今となってはそれが貴重です。特に持ち手の部分がウッドでできたステアリングは長時間握っていても体温で熱くなりにくく、私は好きです。(セルシオもそうでした、ただ細かったですが)また、昨今のカーレビューでよく聞く内装部材の「ハードプラ」「ソフトパッド」についてですが、それで言うと75の内装はほぼウッドかレザーです。ダッシュボードからドアの下半分、アームレスト、センターコンソールに至るまでレザーが貼ってあり、今同じ車を作ろうと思ってもコスト面で難しいだろうなと感じます。ドアノブはメッキです。分厚く質の高いレザーシートにはパイピングがあしらわれています。昔ながらの英国のクラフトマンシップここにあり!といった感じでしょうか。余談ですが、75の先祖にあたるP5Bとのデザイン上の共通点も内外装ともに多いようです。見る人が見ると、いかにもローバーだよねと思うものなのでしょうね。③贅沢でキャラクターのあるエンジンホンダ製に間違われやすいですが違います。ローバー製のV6、2.5(177ps/6000rpm、240nm/4000rpm)です。ランドローバーディスカバリー等にも搭載されていたようですね。4気筒や3気筒が主流の今、V型6気筒は貴重です。走行中は基本的に聴こえないくらい静かなのですが、耳を澄ますと一般道でよく使う2000rpm前後でヒューンと吸気?の気持ち良い音がして、4000rpmを越えたあたりで急に乾いたハモリ音がする不思議なエンジンです。これをアイシン製の5ATで操るわけですが、特に2速、3速でタイミングが合うと、心地よいエンジン音の盛り上がりと共に息の長~い加速を味わえます。あ、この瞬間があることが良い車の条件だったよね、って思います。(実際どうだかは知りません)一方、~2000rpmくらいまでの低速トルクは細めですが、だからこそ、アクセルオンでぎくしゃくするような事もなく、モーター車のようなスムーズな発進が可能です。これは後席に乗る方にも伝わるらしく、さすが英国紳士が乗る車!って感じです。悪く言うと、信号ダッシュのような俊敏な発進は出来ません。④意外と悪くない燃費ハイオク指定で首都圏郊外で高速3割、一般道7割くらいで走った場合に8~9km/ℓです。高速だけだと12km/ℓくらいまで伸びます。都内の渋滞多めだと7km/ℓくらいになります。今のところ、私の乗り方で7kmを切ったことはないです。これは考え方によるのだと思いますが、このエンジン、この大きさの車でこれくらいの燃費という事で、私としては合格点です。⑤随所に残る、いかにも乗り物を触っているという感触これは極めて個人的な感覚なので伝わるかどうかという感じなのですが、エレガントな外観に似合わず、あらゆる操作は重めです。例えば、しっかりグリップを握って強く引っ張らないとドアは空けられません。初めて乗る女性の多くはロックされているのか?と勘違いするでしょう。そして思い切り閉めないと半ドアになります。ガシャっと重い音がします。ゲストとして乗り込む淑女のために紳士代わりに開閉する仕様なのだと思います。ボルボやベンツよりも重くて金庫のようなドアです。嫌いな人は嫌いだと思います。ウインカーもワイパーもレバーをしっかりガチャっと入れるタイプです。集中ドアロックも、ボタンを押した瞬間にバシュン!と閉まります。あまりにしっかり閉まるので初めて乗った時に驚きました。ステアリングは重く、これも初めて乗った時に驚きました。その他にも、昔ながらのメーター類、正確無比な時計、しっかり触れる大きめのボタン類など、昔ながらの車を操作しているような感じがあり、子供の頃憧れた、大人になったら乗れる乗り物といった風情があって気に入っています。残念な所を5つ①停止する瞬間のブレーキ特性これは仕様なのだと思いますが、どんなに優しく踏んでも、停止直前に力を抜いても、今止まったよ!と伝えてくる挙動があります。キュっと音が鳴るわけではないのですが、ほんの少しカックン感が出てしまうんです。確かベンツもそうだったと思います。ボルボはいつ停止したのか解らないくらいスムーズに停止できました。雪道やアイスバーンではボルボの仕様の方がスリップしにくいと思いますし、私の好みはボルボのブレーキです。思想の違いですね。②垂れやすい天井、劣化しやすいプラスチック覚悟はしていましたがご多聞に漏れずといったところです。経年劣化で垂れてきます。もうちょっと劣化しにくい素材にするとか、強い接着剤を使うとか、何とかならなかったのかなという感じです。現状は特に気になるほどではないのですが、いずれ直さないといけないですね。これはローバー特有というよりは、ヨーロッパ車全体に言える弱点の1つだと思います。③情報量が少ない不人気車ゆえオーナーレビューが少なく、定番の故障等が解りにくい事がマイナスポイントです。ちなみに複数の情報によるとタイミングベルトは144000kmまでに交換推奨との事でしたが、ちょうどその頃ウォーターポンプが不調となり、結局ベルトごと交換となりました。ベルトがダメになる前にウォーターポンプが寿命を迎える設計なのだとすると、いきなりベルトが切れたりコマが無くなったりでエンジンが一発アウトになる事はないでしょうから、優秀な設計だなと思った次第です。まあ、予算に糸目をつけずに早め早めに予防整備をやっていけばよいだけの話なんですけど、なかなかそうはいかない場合もありますのでってことで。④トロいオートマノーマルモードだと、今シフトダウンしてよ!ってところでしない事が多いです。特に中低速で早めに3速に入って留まりたい癖があるようで、高速の合流などで強めに加速が欲しいときには結構強く踏み込まないとシフトダウンせず、だらしない(ジェントルとも言う)加速になってしまいがちです。Sモードに入れるとこの特性は改善して元気な車になります。要はアクセルへのツキが良くなる感じです。その代わり100キロ巡航状態で4速のままで、120キロでようやく5速に入ります。これは頂けないですね。速度域の高いヨーロッパではこのくらいがちょうど良いのでしょう。⑤つかみにくい車幅、小さいドアミラー私の力量と言えばそれまでなのですが、上から見たときにアーモンドや卵のようなボディ形状になっており、まっすぐ駐車するのが難しい車です。ボンネットのセンターに入っているラインをうまく使うと良いのでしょうけど。この点はボルボやセルシオは優秀で、いつでもまっすぐ停めることができました。確かベンツもまっすぐ駐車するのが難しかった気がします。そして、これもボルボと真反対なのですがサイドミラーが小さいです。窓のラインが高めですので、バスタブに深く浸かるような運転姿勢になりがちで、体の小さい方だと視界は悪くなりがちだと思います。ローバー75ツアラーの(私の)総合的な評価いかにも金属で作られているというクラシックカー的な重みのある質感が良いです。馬車や帆船にも通じる内外装の様式感も、一本筋の通った美学に基づいてデザインされている事を感じられます。ただし、グローバルとは真反対に狭く深くフォーカスを当てた感があり、土の匂いのする垢抜けない感じのする車です。クラシックの作曲家でいうとドボルザークの立ち位置に近いでしょうか。しかし、実際には今でも充分に通用する性能と使い勝手を備えた現代的な車でもあります。走行性能に限って言えば特出した部分はありませんが、巷でいわれているほどの故障もなく、トータルでは乗りやすい車という事になると思います。とりあえずこんな感じです。また思うところがあれば書き足していきます!ここまで読んでいただきありがとうございました。↓私のYouTube動画です、良かったらご覧ください^^2022.08.16 07:57
ブラームスの「pf」は…pf表記はブラームス「ならでは」のもの。ピアノフォルテではなく、ポーコフォルテ。とはいえどんな風に?音色は?など表現の幅は無限大とも思える。指揮者とオーケストラにより違いが出やすい場所ですね。ちなみにこれは交響曲第3番の第2楽章です。2022.06.22 02:17
私の指揮で。自分の指揮でどんな演奏にしたいのかと問われてもパッと言葉にするのはとても難しいのですが、以前からアマチュアオーケストラに感じている課題感の1つとして、弦管打の音量のバランスがあります。つまり、管打楽器が大きくなりすぎてしまう事です。(ただし管打楽器が嫌いなわけではありませんので誤解のないようにお願い致します。そもそも私自身、トロンボーンでスタートしてますし)これにはいくつか要因がありますが、私なりにかなり大きく3つに切り分けるならば、①楽器の進化の歴史に起因する問題。ベートーヴェンの時代以降(市民革命後)、封建社会の支配層「ではなかった」人たちにオーケストラ音楽が浸透していくにしがたい、観客数が多くなり、ホールも大きくなり、必然的に大きく、より響く楽器が大量に出回り、トロンボーンに限って言えば、今や作曲家が想定していた楽器に比べてベルが大きくて太管の楽器が大勢を占めているのではないでしょうか。②慢性的な弦楽器奏者不足の問題。当然弦楽器も同じ進化を遂げている訳ですが、相対的に弦楽器奏者が日本では少ない、というか、吹奏楽部が多いので管楽器経験者が多い。従って、東京のアマオケに限って言えば、オケの違いは管楽器メンバーと指揮者の違いと言いたくなるくらい、オケ同士で弦楽器のメンバーに被りが発生してしまうケースがあり、さらにそれぞれ本番が重なるのでまとまった人数も集まりにくい。また、幼少から楽器に触って一定以上の技術を持った弦楽器奏者は殆どが音大に行きその後フリー等でプロ活動をするため、アマオケに積極的に参加して貰うには一定のハードル(主に人的つながりでしょうか)がある。③ほとんどのアマオケで全く同じメンバーで演奏会をやるのは一生に1回きりという問題。これが一番言語化するのが難しいのですが、オーケストラの弦楽器においては、同じメンバーで何度もやらないと出てこない音の厚みの領域があり、これの有無により同じ10人のVnでも全く違うのですが、この域にはアマオケだとなかなか達せません。付随して、「何となく大きくて派手なものが良い」とされる美学の問題でしょうか。この点はコロナ以降大きく変化をしつつある部分だと思いますが、大団円で最後ドーンとさく裂させる系の演奏に対して「なんだかよく解らないけど、とにかくヨシ!!ブラボー!」とする風潮。私もそんな節がありますが(笑)ただ、ベートーヴェン以前の交響曲や、ブラームスの3番/チャイコフスキーの6番のように深く染み入る様に終演する演奏の価値は、これから見直されていくものと思います。と長々と書きましたが、今回の演奏会(https://dandelionorchestra.themedia.jp/)ではこれらの課題感を改善していくために、楽器、奏法、配置等々オーケストラの皆様と色々と思案をしているのですが、その辺はまたの機会に投稿しようと思います。ともあれ弦楽器の方のご参加は絶賛受付中ですので、ご興味持って頂ける方はDMでも良いのでご連絡頂けますと幸いですm(_ _)m2022.06.12 10:00
ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」をベーレンライター版で演奏するアマオケの皆様へこのたび、こちらのオーケストラでベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」を演奏するにあたって、ベーレンライター版の使用をする事と致しました。この記事では、その理由と、多くのアマオケで利用されるブライトコプフ版(1862年版=IMSLPから落とせる譜面)との差異について記載をしようと思います。多くの人にとっては興味もないポストかと思いますが、今後もし私と同じ境遇になる方がいれば、お役立ていただければと思います。上記IMSLPの譜面は小節番号や練習記号の表記が無い、その後同じブライトコプフ社から出版された楽譜に反映されている改定(と言っても演奏の大勢に影響があるとまでは言えないかもしれませんが…)が反映されていないなど、実用に供するにはある程度の手間がかかるものです。この事を踏まえ、その後の研究が反映され、且つ小節番号や練習記号の体裁を予め整えられた楽譜を使って効率よくリハーサルを進めたいと考えた事、また、心機一転新しいオーケストラでの演奏という事もあって、思い切ってスコアとパート譜全てを購入してみました。1997年に出版されたベーレンライター版です。過去はどんどん遠くなる一方で、楽譜がどんどんブラッシュアップされていくのは若干不思議な気もしますが、現実的に新品購入が可能で、実用に供された実績が多数ある「安心、最新」の楽譜となると、このベーレンライター版になるかと思います。2月にドイツに注文し、ウクライナの戦火をくぐり抜けて4月末に日本へ到着しました。そもそも、交響曲第3番の楽譜はベートーヴェン自身によるフルスコアが紛失しており、一般的に以下の①~⑥までの6つに分類できると考えられています。① 本人によるフルスコア→紛失。現存せず② 1804年初頭の写譜師によるスコア。有名なナポレオンへの献辞が消された楽譜であるが、よく言われるような、破り割いた形跡はない。(ただし強く消したのか、破れてはいる…というか穴が空いている)ベートーヴェン本人による訂正が記載されている。(ウィーン学友協会蔵)③ ④の出版前に写譜されたパート譜。8つの木管パートのうち、5のパートにベートーヴェン自身による訂正書き込みがある。(ウィーン学友協会蔵)④ 1806年にウィーン美術工芸社により出版されたパート譜。1807年から1809年の間にいくつかの修正と共に再版された。⑤ 1822年ジムロック社によりドイツで最初に出版された。ベートーヴェン自身が関与した証拠はない。⑥ 1809年にロンドンで出版されたスコア。この版は何十年もの間ドイツでは知られておらず、ベートーヴェンの関与も無い。ベートーヴェン自身の表記が乱雑で解りにくいうえに、本人自身も繰り返し訂正をしていること、写譜師の関与、表記のミス等によって一貫性ある校訂ルールが失われた面が否定できず、何をもって「正」となすかについては長年の研究の対象とされています。以下、参考までにIMSLPでDL出来るブライトコプフ版(1862)との違いを記載してみます。全て拾ったつもりではありますが抜け漏れがあるかもしれない事、便宜上、音名は全てin「c」読みで記載をしている事をご了承ください。第1楽章(小説番号: ベーレンライター版はどうなっているか)・11~12:Vn1 11~12までスラーが繋がっている・15:Ob p表記が追加されている・21~22:Fl1、Cl1、Fg スラーが繋がっている・23,27:Vn2,Vcのスラーは小節の終わりで切れる・40~41: Va,Vc スラーは40の3拍目から41終わりまで繋がっている・45 :Vn2,Va 小節頭のスタッカート無く、スラーは小節頭から(同様の220小節、448小節と同じ形に揃えた)・53:Vn2 スラーは小節全体にかかる・91:Cb b音は2拍目 ・98:Fl、Cl、Fg cresc表記に変更 ・113:Fg2 最初はd音(ブライトはb)・220,221,224,225:Cl1のスラーは小節をまたがず、次の小節の頭はスタッカートとなる・233小節: Hr1 sfp(ブライトはsf)・243-245:Fl、Ob,Fg 出だしの4分音符はp ・290:Fl 1拍目はh・323:Cl、Fg1、Vc →sfp ・419,421:Cl1タイで繋がったまま・445:Vn2 16分音符の出だし、esオクターブ・512:管打楽器。2拍目f(ブライトはsf)・516~519:Cbの3拍目にsf・531~534:f(ブライトはsf)・531~534: Hr1と同じc音(in c読み)・544:Vn1,2の2音目に♮。(bの可能性あり?)・615~621:Hr1,3 スラー・623~626:管楽器 スタッカート無・658:Tr付点2分音符第2楽章・6:Cb 3連符だけにデクレッシェンド・21~22:Vn1 21のスラーは22小節の1拍目まで。22小節のcとfisにスラー・40:Ob、Cl、Fg、Hr3 最後の4分音符のみf・42:Hr1,2,3のデクレッシェンド削除。Hr1,2の3つ目の8分音符にアクセント・45,46:Fl1、Ob1、Cl2、Fg1 スラーを小節間で分割・50,51:Fl1 cはBの頭までタイで繋がっている・51:Vn2 3連符はc音。(ブライトはf)・65,66:弦楽器のスラーは小節間で切れている・70,71:Hr2はタイで繋がっている・72,73:Hr1はタイで繋がっている・97:Fg2 付点16分=h (ブライトではg)・114:Vn2 下のasは4分音符。(ブライトでは8分)・116:Vn2 sf削除。Va 付点4分音符にsf・179:Hr3 fでスタート(ブライトはg in「c」読み)・232:Timp 全休符。・241:Vn1 最初の16分はスラー。(ブライトはスタッカート)・245:Ob1,2 4分音符。(ブライトは8分)第3楽章・7,18:Ob p(ブライトはpp)・58:Ob2 2拍目はb(ブライトではd)・97:Hr、Tr sf・111:Hr3 e音(ブライトはc in「c」読み)・115:Hr2 e音(ブライトはg in「c」読み)・178: Hr sfはHr2,Hr3のみ・194:Hr全員sf・259,260(1カッコ):Ob 259の2拍目以降休符・340-341:Hr1,2 340-341の1拍目休み・356-371:出番アリ(ブライトではこの間全休符)・364~369: Hr1 f音(ブライトではe音 in「c」読み)・371:FL2 h音(ブライトではg音)・408: Vn2 最初の8分音符が1オクターブ低くなっている・435-438 管楽器のスタッカートの位置に注意第4楽章・36~37:f ・48~50:Vc スラーは48,49全体と50小節全体・59: Vla solo表記・63: Vc solo表記・76: Fl、Ob、Cl スラーは76-・100,101: Fg 小節ごとのスラーあり・110: Fl1 p表記(ブライトではsf)・137:Vn1 最初2音がスラー。以降スタッカート・141、143: Vn2 スラーとスタッカートの配置が異なる・150、152: Va スラーは最初の2つの8分音符まででVn2と同じ形。・153: Vn2 sf (ブライトではf)・195:Vn1 小節頭のaはスタッカート、以降スラー。・210、218:Fl2、Ob1、Fg1 スラーなし。Vn1だけスラーあり・213、221、241、245: Fl1 スラー無し・269、273: Vn1 最初のg及びcがスタッカート・312: Vc/Cb 2つ目の16分音符に(♮) ・350: Cl1,2 割り当てがブライトコプフと違う(パート譜通りに演奏すれば良い) ・369: Vc Cb g音が最終拍後半になっている・386: Hr2,3 sf表記 ・395: Vla 最初の16分音符はb音(ブライトだとg) ・435,436:Fg、Hr1,2 スラーの位置が修正されている・437,438:Cl、Hr3 スラーの位置が修正されている・439,440:Fl スラー位置修正。上記と同様・445小節: Vn1,2 1拍目にもsf・447: Vn2最初はb音。(ブライトだとg)・459-460:Fg1 オクターブ上げ以上2022.06.11 06:14
岡山/足守の春今週。関東は冷たい雨ですが各地に河津桜も咲き、春はもうすぐそこという感じ!以前訪れた、岡山県足守地域の春の様子を写真でお届けしたいと思います。ここ岡山県足守地区は、明治以降、急速に失われた貴重な城下町の風景が今もなお色濃く残されており、歴史的、文化的資料も多いため県の町並み保存地区に指定されています。2019.03.04 05:10
指揮者の訓練親鳥が外から殻を突き、中から雛も殻を突く。これが上手く噛み合った時に初めて卵が割れて、雛が外に出て来るのだそうです。指揮の勉強は独学では到底不可能です。外から殻を突いてくれる環境が絶対に必要。私はこの講習会に2010年くらいに参加していたのですが、その後確実に人生が変わりました^ ^ 指揮伴のオケもちゃんとプロがやってくれるので、それを指揮させて貰えるだけでも大きな価値。良い意味でアマオケとは全く反応が違います!毎回課題曲が多いのが大変だけど。。。2019.03.04 04:31
「フィガロの再婚」2日間3公演に指揮者として参加させて頂きました!平日にもかかわらず大勢のお客様にお越し頂けて、大成功!でした。遠方からもたくさんのご来場があったようで、レジェンドの魅力って凄いなと思います。ご迷惑をお掛けした部分があったかもしれませんが、本当にありがとうございました。2019.02.27 01:29
ヴェネチア近郊からヴィツェンツァに向かう。ヨーロッパドライブ旅④これは、貴重な映像かもしれません。ヴェネチア近郊のメストレという街からヴィツェンツァに向かう道中の車載映像です。お酒でも飲みながらボーっと見て頂けると嬉しいです(笑)観光客向けでなく、生のイタリアの姿をどうぞ。2019.02.03 10:05