ショスタコーヴィチ[交響曲第9番]を文章にする
今度指揮する作品について、ご一緒する奏者の方向けに書いています。
詳しい方も多いと思いますが、ショスタコーヴィチの音楽は比較的最近のものである事や『ショスタコーヴィチの証言』という書籍の存在により様々な解釈上のヒントがある一方、「証言」そのものの真贋について疑問を呈する議論もなされています。
私自身は「ショスタコーヴィチはこの交響曲第9番を通して、心の底から戦勝を称える意図はなかった」という立場です。また「証言」の真贋論争の中でアメリカの音楽学者、リチャード・タラスキン博士が示した「作曲家が作品に込めたものだけでなく、聴衆が作品から引き出したものに帰すべき」という主張に沿い、いち聴衆として各楽章を文字にしてみる事にしました。
つまり、以下の文は単なる解釈ですのでこれがベストとも唯一とも思っていません。あくまで、今回の指揮者はこんな風に作品を捉えているんだという情報程度に、ご一読頂けますと幸いです。
全部の練習に参加できる人は少ないと思いますので、この素材がリハーサルを効率的に進める一助になればと思っています。当該作品について詳しい方が多い中恐縮ではございますが、一部分でも内容に共感頂けると嬉しいです。
※具体的にどこの部分が何に対応しているというものではありません。あくまで観念的なものです。
第1楽章
寂寞なる北の片隅に位置する小さな村で、女たちが噂話をしていた。
どうやら戦争に勝って男たちが帰ってくるらしい。そこへ村長が現れ、物知り風に、そしていかにも偉そうに話し始めた。
「若い者にはわからんだろうが、昔の軍隊は本当に強かった。私が従軍した時は、勝利が当たり前でな。敵が現れれば、俺たちは一斉射撃で圧倒したもんだ。」
女たちは村長が言うことに興味もなければ、解りもしないでいた。何も知らない凡庸な男が、過去の成功体験を女たちに語りかけているだけのように感じていた。
女たちは内心で嘲笑った。
しかし、誰も村長を止めることはしなかった。まるで鳥が鳴くように、同じ話を何度も繰り返していた。時に身振り手振りを交えて、大げさに。ただ、毎回細部の設定やストーリーが変わっているような気がした。それに気が付くたびに疲労感がつきまとう。
一つ言えることは、村長は自分の言葉を絶対的に信じていたという事だ。女たちは噂話を続け、村長は武勇伝を続けた。いつまでも会話はかみ合わず、不毛で、空虚な時間が過ぎていくだけ。いつものことだった。
第2楽章
夜は更け、女たちはまだ話し声を弾ませていたが、その女はひとり輪を離れ、自分自身について考えをめぐらせていた。この村で生涯を終えなければならないのだろうか、と。しかし、村を離れたところで、自分に何ができるというのだろうか。生きることに精いっぱいで、自分という存在についても考えたことすらなかった。
月が静かに輝く夜空の下、その女は眠りにつけず、葛藤のようなものが内なる世界を駆け巡るのを感じる。その心の中で湧き上がる疑問に、どう応えたらいいのかわからなかった。瞼を閉じると、暗闇の中でぼんやりとした輪郭らしきものが漂っている。それこそが自らの姿なのかもしれない。
第3楽章
晴れた昼下がり、この日も村長が女たちの集まりにやってきた。女たちは彼を笑顔で迎えた。
「村長、今日は何か用があるのかしら?」と、料理を作っていた女たちの一人が尋ねた。
「いや、暇だったから寄ってみただけだよ。」と村長は答えた。
女たちはそれぞれ得意な料理を披露しながら、村長に教えてあげることにした。
「それでは、村長さん、まずは玉ねぎを切ってみてください」と、女たちはまずは簡単なところから教え始めた。
しかし、村長はどうやって切るか全く分からず、女たちの手取り足取り指示を仰いでいた。女たちは村長の姿を見ながら、内心で「何もできないんだね」と嘲笑していた。それでも、村長は真剣に教わり、何とかみじん切りを習得できた。
「おお、これは良い感じだ。これで私も料理人になれるかもしれない」と村長は自信満々に言った。すっかり気を良くした村長は、またも自分語りをはじめる。
「俺たちの部隊は常に先頭を切っていた。鉄のように鍛えた体と、緻密に練られた戦術が、敵を屠り、勝利をもたらしたんだ」
女たちは以前よりは興味津々で聞いていたものの、早く料理の続きをしたかった。村長の気を料理に戻そうと、褒めたり、称えたりして話を終わらせようとした。それでも村長の誇大妄想めいた話は盛り上がりを見せる一方で、この繰り返しにはある種の滑稽さも感じていた。
「俺が一番輝いたのは、あの激しい戦闘の時だ。兵士たちが次々と倒れる中、俺は果敢に戦い続けた。手榴弾が爆発し、銃弾が飛び交う中、俺は危険を顧みずに戦った。その勇気が報われ、以後、上官たちからの尊敬を受け、数多くの賞賛も受けたんだ」
女たちは、話を聴いているようで、実は適当に相槌をうって聞き流していたのかもしれない。村長は自分が輝いていた頃に再び戻りたいと願っているようだったが、それはもう叶わないことだ。女たちの表情は、やがて哀れみへと変わっていった。
1人の女が口を開いた。
「そういえば、男たちが帰ってくる頃ですね。」
第4楽章
彼らは旗を掲げ、大声で勝利宣言をした。しかし軍楽隊が鳴らずファンファーレは、喜びよりもむしろ死者への哀悼を表しているようだった。
その女はひとり、村を見下ろす丘の上に立っていた。季節外れの北風が吹き、雲が低く垂れ込める中で村全体に闇のようなものが広がっていくのを感じていた。
遠くから2羽の鷲がうめき声ともとれる鳴き声を発し、過ぎ去った悲劇を余計に連想させる。誰もが、何かがおかしいと感じていた。いつしか本降りの雨になっていた。
第5楽章
そんな中1人、また1人と祭りの参加者は増えていく。尽きることのない力に抗えず、次第に参加者たちは祭りの中へと引き込まれていく。村人たちは胸騒ぎを感じつつも、引き返すことができなくなっていった。踊りや歌、奇妙な儀式が続き、凱旋を終えた男たちもその中に溶け込んでいく。音楽と炎がに包み込まれる中、人々は自己抑制を失い、狂気的な喜びに酔いしれた。村は一つの大きな騒ぎに包まれ、踊る村人たちの輪はどんどん広がっていった。
しかしその喜びの中で、人々は現実から遠ざかっていることにも気付いていた。開放的な気分に包まれた一方で、この狂気的な盛り上がりが、自らの理性と判断力を奪い、思考を狭めていく。人々はお互いに顔を見合わせながら、今までにない奇妙な一体感に気付いていた。
「終わったのではない。これが始まりなのかも。」
その女は呟いた。祭りの騒音の中でもその言葉は何か大きく深い意味を持ち、誰かの心に届くような気がしていた。雨がやみ、雲間に淡く光が差し込んでいた。
幕が下りると、登場人物たちは楽屋へ戻り、早々にメイクを落として夜の街へ繰り出していった。
以上
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