私の指揮で。
自分の指揮でどんな演奏にしたいのかと問われてもパッと言葉にするのはとても難しいのですが、
以前からアマチュアオーケストラに感じている課題感の1つとして、弦管打の音量のバランスがあります。
つまり、管打楽器が大きくなりすぎてしまう事です。(ただし管打楽器が嫌いなわけではありませんので誤解のないようにお願い致します。そもそも私自身、トロンボーンでスタートしてますし)
これにはいくつか要因がありますが、私なりにかなり大きく3つに切り分けるならば、
①楽器の進化の歴史に起因する問題。
ベートーヴェンの時代以降(市民革命後)、封建社会の支配層「ではなかった」人たちにオーケストラ音楽が浸透していくにしがたい、観客数が多くなり、ホールも大きくなり、必然的に大きく、より響く楽器が大量に出回り、トロンボーンに限って言えば、今や作曲家が想定していた楽器に比べてベルが大きくて太管の楽器が大勢を占めているのではないでしょうか。
②慢性的な弦楽器奏者不足の問題。
当然弦楽器も同じ進化を遂げている訳ですが、相対的に弦楽器奏者が日本では少ない、というか、吹奏楽部が多いので管楽器経験者が多い。従って、東京のアマオケに限って言えば、オケの違いは管楽器メンバーと指揮者の違いと言いたくなるくらい、オケ同士で弦楽器のメンバーに被りが発生してしまうケースがあり、さらにそれぞれ本番が重なるのでまとまった人数も集まりにくい。また、幼少から楽器に触って一定以上の技術を持った弦楽器奏者は殆どが音大に行きその後フリー等でプロ活動をするため、アマオケに積極的に参加して貰うには一定のハードル(主に人的つながりでしょうか)がある。
③ほとんどのアマオケで全く同じメンバーで演奏会をやるのは一生に1回きりという問題。
これが一番言語化するのが難しいのですが、オーケストラの弦楽器においては、同じメンバーで何度もやらないと出てこない音の厚みの領域があり、これの有無により同じ10人のVnでも全く違うのですが、この域にはアマオケだとなかなか達せません。
付随して、「何となく大きくて派手なものが良い」とされる美学の問題でしょうか。
この点はコロナ以降大きく変化をしつつある部分だと思いますが、大団円で最後ドーンとさく裂させる系の演奏に対して「なんだかよく解らないけど、とにかくヨシ!!ブラボー!」とする風潮。私もそんな節がありますが(笑)ただ、ベートーヴェン以前の交響曲や、ブラームスの3番/チャイコフスキーの6番のように深く染み入る様に終演する演奏の価値は、これから見直されていくものと思います。
と長々と書きましたが、今回の演奏会(https://dandelionorchestra.themedia.jp/)ではこれらの課題感を改善していくために、楽器、奏法、配置等々オーケストラの皆様と色々と思案をしているのですが、その辺はまたの機会に投稿しようと思います。
ともあれ弦楽器の方のご参加は絶賛受付中ですので、ご興味持って頂ける方はDMでも良いのでご連絡頂けますと幸いですm(_ _)m
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